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2021年4月28日 星期三

INFO|Garden 91 開園時間/ Open hours/ かいほうじかん


如果疫情再無波瀾,Garden91草山玉溪 將於8月27日對外開放。只採預約,以妥善控制人流。
這段期間,我們把園區環境整理得更加宜人,也多了幾處戶外坐息的空間。希望之後不管疫情如何,社會可以理性穩定,人心可以不慌不亂。

想出來走走的客官們請記得事先來電私訊預約喔!
謝謝各位舊雨新知,願大家身心都健康。

* 預約入園團體人數以五人為上限,同一時段中人數上限10人。戶外奉茶,遵守社交距離。
   週二至週六,每日三時段:
   10:00-12:00 / 13:00-15:00 / 15:00-18:00


Garden91 will reopen after August 27th. Please make a reservation beforehand.

|Schedule your visit|
Tuesday to Saturday
Open Hours:  10:00-12:00 / 13:00-15:00 / 15:00-18:00 
Maximum 5 people per group. Each section limited to 10 people.
Welcome tea will be served outdoor. Please practice social distancing.
Thank you for your cooperation.
*Café will be closed during this moment.


2015年10月16日 星期五

活 著 /谷川俊太郎




10.16晨詩_活著



「活著」究竟是甚麼? 我們因著這口氣,所以還活著;但是活著,就真的只是這口氣嗎?


活 著 / 谷川俊太郎

活著
現在活著
那就是口渴
是枝葉間射下來耀眼的陽光
是忽然想起的一支旋律
是打噴嚏
是與你手牽手

活著
現在活著
那就是超短裙
是天文館
是約翰 ·史特勞斯
是畢卡索
是阿爾卑斯山
是遇到一切美妙的事物
而且,還要
小心翼翼提防潛藏的惡

活著
現在活著
是敢哭
是敢笑
是敢怒
是自由

活著
現在活著
是剛才狗在遠處的狂吠
是現在地球的旋轉
是生命剛剛在何處誕生的啼哭
是現在士兵在某地負傷
是此時鞦韆的搖蕩
是現在時光的流逝

活著
現在活著
是鳥兒展翅
是海濤洶湧
是蝸牛爬行
是人在相愛
是你的手溫
是生命



生きる / 谷川俊太郎


生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ

いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ
いのちということ

2015年10月14日 星期三

蜂與神 はちと神さま /金子美鈴 金子みすゞ



10.14晨詩_蜂與神


這天早上在studio 94展場中有著yasu頌缽音樂會。除了報名前來的觀眾之外,我們也特別邀請了平日在學校裡陪伴著需要高關懷的孩子的幾位「魔法媽媽」。在音樂會開始之前,我們讓所有觀眾加入了晨間讀詩的儀式。這天的晨詩的由演出者yasu選定,而他選詩時,心中想的其實是這幾位需要被打氣、被鼓勵的魔法媽媽。



這詩以蜂開始,以蜂結束,短短幾個詩句卻讓我們窺見世界萬物是如何相互依存。萬物啊! 真是無一得以單獨存在。不是嗎?




蜂與神 はちと神さま / 金子美鈴 金子みすゞ

蜂在花之中
花在院之中
院在牆之中
牆在城之中
城在日本之中
日本在世界之中


於是啊、於是,神哪
在小小的蜂之中


はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。




2014年10月26日 星期日

千佛柱/ 千仏柱/ Stone Pillar of Thousand Buddhas
















最早,在一般的佛龕內,都只有單尊的釋迦牟尼佛像;之後,在釋迦牟尼佛的兩側開始出現了菩薩像;甚至也出現了雕塑著千尊佛像的這種「千佛柱」。千佛柱的這麼多尊小佛其實是象徵著眾生成佛的無限可能......
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初期の一般的な佛龕(厨子)の中には、釈迦像のみを安置していましたが、のちに釈迦像の両側に菩薩像が置かれるようになり、さらには、千体の仏像が彫刻されている「千仏柱」が見られるようになりました。千仏柱に彫られたたくさんの小さな仏は、実に人々の成仏の無限の可能性を象徴しています......
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The Buddha shrines in early period only displayed a single statue of Buddha. But in later period, statues of Bodhisattva began to appear on each sides of the Buddha.
As time went by, columns carved with thousands of Buddha had surfaced. The tiny Buddha statues on the column suggested the possibility of all beings becoming a Buddha......

2013年8月18日 星期日

石秤錘/ 石秤錘/ Stone Weight



在磅秤被發明前,石秤錘是先民日常生活中的必備工具,因為它不只能秤斤掂兩,也是人們心中公認的ㄧ把尺,是商賈良心的象徵。

據史料記載,早在春秋時期秤錘就已是民間必需品;它的材質多樣,有銅、鐵與陶瓷,而其中又以石秤錘最為常見。起初人們只是單純用它來測量輕重。後來隨著石刻工藝發展,有些人漸漸開始重視起這些石秤錘的造型,甚至還出現了專門製作秤錘的匠師... ...
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重量計が発明される前、石の分銅は先人たちの日常生活になくてはならない道具でした。それは物の重さを量るだけではなく、人の心も量るものだとされ、商売における良心の象徴でもありました。

史料によれば、早くも春秋時代には、既に分銅は人々の必需品となっており、銅、鉄、陶など様々な素材で作られていましたが、中でも多かったのが石の分銅でした。はじめは単に重さを量るために使われていましたが、のちに石の彫刻工藝の発展に伴って、石の分銅のかたちを重視する人たちが現れ、専門の分銅職人すら登場するようになりました... ...
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In ancient China, stone weights were a necessity in daily life.
Literally as an object for measuring, but also as a metaphor in weighing people’s heart and symbolizing good conscience in doing business.

According to Shi Ji – Records of the Grand Historian, the usage of weights were commonly seen among general public as early as 770 B.C. Weights came in various materials such as copper, iron and ceramics. Among them all, stone weights were most conventional.
In the beginning, weights were only used for measuring, but with advanced skills of stone making, the craftsmanship of the stone weights became more sophisticated and received greater recognition. Due to its refinement and sophistication, people started paying closer attention to the design of stone weights and led many artisans to specifically focus on making stone weights... ... 

東漢坐佛/ 東漢坐仏/ Sitting Buddha of Eastern Han



佛教其實早在西元一世紀的東漢就傳入中國了。當時有這麼一個傳說──某夜,東漢明帝夢見一位身高一丈六尺的大神,頸項背上都閃著耀眼奪目的金光,在殿庭上飛翔。第二天,明帝一醒來,就問遍群臣,想弄清他夢中的金神究竟是何方神聖... ...
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仏教は西暦一世紀の東漢時代に早くも中国に伝来していました。その当時についての、このような伝説があります。――ある夜、東漢の明帝は、夢で身長が一丈六尺もある神を見ました。それは首や背を目も眩むほどに光り輝かせながら、宮殿の庭の上を飛び回っていたのです。翌日、明帝は目覚めるとすぐさま家臣たちに、夢で見た金色の神は一体何者だったのだろうかと尋ねました... ...
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Buddhism was introduced in China as early as 100 A.D.
The Legend says, one night the emperor Ming of Eastern Han Dynasty dreamt of a 12-feet tall deity with rays of golden beam shinning from his back, flying across the palace. The Emperor woke up the next day and asked his ministers if they heard of such story... ...

2013年8月14日 星期三

交通資訊/ 交通について/ Transportation






🅐 地 址|台北市士林區仰德大道二段91號

🅜 地 圖Google地圖

🅢 公 車|

劍潭 ー 捷運站 3 號出口搭乘 紅5、303、小15、小16、小17。

東湖 ー 捷運站搭乘681。

台北車站 ー 北二門搭乘260。

於「永嶺」下車,往上至100巷口,左側即是。


🅟 開 車|

請於仰德大道二段100巷(永明寺)內路邊停車, 請勿擋道, 巷底寬直好停。

週末與連續假日仰德大道上山,有自用客車交通管制,上午8點至下午3點止。

可改搭公車或計程車上山,詳情請見 交通局網頁


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🅐 場 所|陽明山仰德大道二段91號

🅜 地 図|Google マップ

🅢 バ ス|
永嶺(ヨンー リンー)

捷運淡水線(赤線)剣潭駅3番出口で、
陽明山行きバス(紅5、303、小15、小16、小17)に乗車、「永嶺」バス停下車。
進行方向歩いて30秒で右手にStudio94、向かい側にGarden91が見つかります。

🅟 お車で|
お越しの場合は、仰徳大道二段100巷「永明寺」標識手前を右折、
路地内に停車してください。


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🅐 Address|No.91, Sec. 2, Yangde Blvd., Shilin Dist., Taipei City 111

🅜 Map|Google Map

🅢 By Bus |
Yong Ling 永嶺

MRT staion "Jian-tan"(劍潭) Exist 3rd,

Take bus R5, S15, S16, S17 towards Yangmingshan,
get off at "Yong Ling" (永嶺).
Walk uphill towards Lane100, across the street and you will see Garden 91.

🅟 By Car |
Drive alone Yangde Blvd.

Sec. 2, turn right when you see the sign for Lane100,

and park along the lane.

Non-residents' cars are not allowed during the weekends.

Public transportation is recommended.

2013年8月13日 星期二

Garden 91 ご案内



Garden91草山玉溪園は、陽明山の中腹にたたずむ石の庭園です。

創設者の林文雄が彼の両親に感謝の意を表して、また、皆様とコレクションを共有するために開園いたしました。

石たちのもつ故事やいわれ、園内をめぐると聞こえる虫の声、空を流れる雲、ゆっくりと呼吸する観音山と淡水河、そして、夕暮れ時の壮大な天空と室内に繰り広がる光のドラマを、皆様とともに楽しみ、享受いたしたく思います。一瞬一瞬移ろいを魅せる空間で、静かに自分自身を再発見しませんか。






● 収蔵



お問い合わせ

電話|886-2-2834-2637 

所蔵者・林文雄のメッセージ



人は晩年になると、前を向いても、後ろを振り返っても、少々茫然としてしまうものです。過ぎ去ったものは、どんなに素敵でも終わったことでしかなく、未来がどんなに輝かしくとも、体力が及びそうにありません。人生における夕暮れのような地点に立ってみれば、前を向くか後ろを向くかは重要でなくなり、大切なのは、「今、私がまだやりたいことは何であるのか」ということになるでしょう。私がやりたいこと、それは自分のコレクションを人々と共有することです。



私の石のコレクションは多数に上り、歴史も短くありません。最初はただ好きというだけだったものが、後になって、石の質感には、素朴さや穏やかさ、温かさ、さらには覇気など、私という人間の個性が映し出されていることが次第にわかってきました。お目の鋭い方ならば、私のコレクションの形や表情から、これらの特徴を見出されることでしょう。



私が築いた石の楽園は、私の心の中の風景を映し出しています。本園へいらっしゃるということは、実は私の心の世界をお訪ねになっているということなのです。温厚な小さい獅子、威風堂々とした神獣、穏やかに黙する達磨、慈しみに満ちた荘厳な仏像、さらに園林の中にいる見えそうで見えない動物たちも、実は全部、この私なのです。もし初めて見た時の共鳴感がなければ、それらはこの園に来ることはなかったでしょう。私は人生後半の気力と時間を使って石を集め、きれいに並べ、石たちに皆様を歓迎させるような空間を作り上げました。



物には魂があり、人には情があります。物は姿や雅趣、境地や品格を持ってやってくるので、私は心を込めて取り扱うことでそれに応えます。草山玉溪園は、驚天動地とまではいかなくとも、人々の心を潤すことができたらと願っています。一筋の穏やかな道を作って、人々が歴史に目を向け、昔を懐かしく振り返ったり、さらには、鳥や虫の鳴き声にじっと耳を傾け、心を静めていただくことができたら、それでもう功徳円満だといえるでしょう。


私と私の文物たちは、ここで皆様のお越しをお待ちしています。